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2026.8.03

美ら海ネクサス 第3話

<前回までの美ら海ネクサス>

 

 

東京の広告代理店を離れ、沖縄・美海市へやってきた知念結維(ちねんゆい)は、若き市長・与那覇早紀(よなはさき)のもと、「未来ビジョン推進室」の特命担当ディレクターとして新たな一歩を踏み出した。

 

着任翌日、防災服に身を包んだ結維は、市長や主任の上原とともに市内視察へ。商店街、老朽化した小学校、そして海を望む広大な事業予定地――一見すると異なる場所を巡りながら、美海市が抱える課題と、その先を見据えたまちづくりの姿に触れていく。

 

市役所へ戻る途中、上原は言った。

「市長には、私たちより一歩先、いや、二、三歩先の景色が見えているのかもしれません。」

 

 

<第3話> 「未来ビジョン推進室」

 

 

「未来ビジョン推進室の『室』ってあるじゃないですか。同じ『室』でも、自治体によって位置付けが違いますよね。」

上原がスクリーンに映し出した美海市役所の組織図を眺めながら、結維はふと思い出したように尋ねた。

 

 

「はい。本市では総務部の下に置かれる、課相当の組織です。でも、自治体によっては部と同じ位置付けだったり、逆に係相当だったり。本当にさまざまですね。」

「そうですよね。広告代理店の仕事で自治体を回っていたとき、組織が自治体ごとに違うので、組織図をいつでも見られるようにしてました。」

訪問先では、会議室へ案内されるまでのわずかな時間にも組織図を開き、名刺交換や挨拶の順番を頭の中で何度も確認していた。

「ただ、本市もレアケースかもしれません。知念ディレクターは部長級で、室長は総務部長が兼務しています。当面の体制としては、知念ディレクターと私の二人です。」

「あ、それなんですけど。市役所でディレクターって、他にいないですよね。できれば、知念さんでお願いします。」

「……分かりました。慣れるまでは、ついディレクターと呼んでしまうかもしれませんが。」

「もちろん。それは大丈夫です。」

結維は、微笑んだ。

「上原さんは、ここに来る前は何をしていたんですか。」

「4階の企画政策部にいました。実際には、今も兼務がかかっています。企画政策部との連携を取りやすくするためだと聞いています。」

「そうなんですね。それなら、企画政策部に未来ビジョン推進室を置いた方が、連携しやすかったんじゃないですかね。」

「私も最初は同じことを考えたんです。」

上原は苦笑した。

「どうやら、市長が深く関わるなら秘書課のある総務部に置かないと駄目だ、ということらしいです。そうしないと、市長室とここをあのらせん階段でつなぐこともできないんだとか。」

「そんな理由だったんですか。」

「はい。企画政策部に置くなら、市長室とつなぐには外階段にする必要がある、と言われました。」

外階段を上り下りする市長の姿を思い浮かべて、結維はつい笑ってしまった。

 

 

「組織図だけじゃ分からない訳ですね。全国の自治体も、訳ありな部署ってあるんでしょうね。」

「そうかもしれないですね。」

二人は、笑い合った。

「知念ディレクター、あ、すいません。知念さんに一つお聞きしたいのですが。」

「はい。」

「実は、この組織図を見たのも、『特命担当ディレクター』という補職名を知ったのも、昨日が初めてなんです。」

結維は少し意外そうな表情を浮かべた。

「普通は、異動の内示を受ける頃に職員には知らされるんですが……。知念さんは、事前に聞いていらしたんですか。」

「私も、そうなんです。辞令を受け取るときに初めて聞いて、ちょっと驚きました。」

「知念さんでもそうなんですか。」

「はい。市長からは、広告代理店で培った力を借りたい、というお話は事前にいただいていました。ですが、『特命担当ディレクター』という肩書きも、部長級の扱いになることも、知りませんでした。」

「そうでしたか。市長らしいですね。」

「ところで、知念さんは、広告代理店ではどういったお仕事をされていたんですか。」

「はい。東京本社の第六営業局にある、公共ソリューション部という部署にいました。地方自治体を担当していて、地域課題の解決につながる企画の立案や事業のプロデュースをしていました。」

そう口にして、つい二日前までしていた仕事が随分前のことに感じられた。

「その中に、市長がお気に入りの、PR動画や『みうーし』もあったんですね。」

「はい。まさか、こんな形で美海に呼んでもらえるとは思っていませんでした。」

「『みうーし』は、職員にもファンが多いので、生みの親が市役所の一員になったと知ったら、みんな驚きますよ。」

「そう言っていただけるとうれしいです。」

「商工観光課の職員が、『みうーし』を使ったグッズを、ふるさと納税の返礼品にしたいって話してました。力になっていただけるとすごく喜ぶはずです。」

「それは面白そうですね。市長がスマホに付けている『みうーし』のストラップも可愛かったですね。」

「あれ、実は、『みうーし』を気に入った城島さんがOISTAで試しに作ってくれたものなんです。いくつか市役所にもいただいて。」

「そうなんですね。私も欲しいと思いました。返礼品にしたら人気が出るんじゃないでしょうか。」

「生みの親の知念さんにも宣伝してもらわないといけませんね。まだ残りがあったと思うので、あとで探してみます。」

「嬉しいです。今日、OISTAで実物のウミウシを初めてじっくり見ました。」

「私も大人になってから見たのは久しぶりでした。この辺りですと、海で遊んでいるとよく見かけますので、地元で育った人なら子どもの頃から馴染みがあるんです。市の職員にも、そんな人が多いですね。」

「だから職員のみなさんも気に入ってくれてるんですね。」

「ええ。美海らしさがありますからね。」

「それなら、返礼品としての必然性もありますね。」

「そうですね。これまでは、旧海良村の農畜産品や、旧美崎市の海産物が中心です。そこに、海の研究所がある美海らしさを生かした『みうーし』グッズは人気が出ると思います。」

上原は、スクリーンにふるさと納税の返礼品リストを投影しながら、語気を強めた。

 

 

「最近は見学ツアーみたいな体験型の返礼品も人気ですから、OISTAの協力が得られれば、観光の新しい魅力になりそうですね。」

「実現すれば、モノ消費とコト消費をセットにできますね。商工観光課に相談してみます。」

「よろしくお願いします。私も一緒に入りますので、教えてください。」

「わかりました。」

「市長と城島さんは、ウミウシの研究は食料問題や医療、バイオ医薬品にも役立つと話していましたよね。今日は詳しく聞けませんでしたけど、OISTAではどんな研究をしているんでしょうか。」

「ウミウシにもいろんな種類があるらしくて、光るものや、太陽の光で光合成をするものもいるんだそうです。それに、人間では作り出せないような物質を生み出す種類もいて、そのあたりが注目されているって聞きました。」

「へえ。きれいで可愛いだけじゃないんですね。」

「そうなんです。研究が進めば、新しい産業が生まれる可能性があります。だから市長は、そこに美海の未来を感じているんでしょうね。」

「身近な生き物が、美海の未来を変えるかもしれないなんて、奥が深いですね。」

規模の小さい自治体ほど、一つの出会いや挑戦が、その後のまちの姿を大きく変えることがある。広告代理店時代、そんな場面を何度も見てきた。美海も、その途中にいるのかもしれない。自分には、何ができるだろうか。

 

夕方を告げる防災無線のメロディーが、庁舎の外から流れてきた。

「もうこんな時間ですね。私は、少しだけ今日の内容を整理してから帰ります。」

上原はプロジェクターの電源を切った。

「案件が進んでくると、この先だんだん忙しくなると思います。」

「はい。覚悟しておきます。」

結維は、軽く敬礼のポーズをして笑った。

 

 

「今日はお疲れ様でした。」

「お疲れ様でした。では、お先に。」

「あ、今日は金曜日でしたね。何かと慌ただしい一週間だったと思いますので、良い週末を。」

「そうでした。上原さんも、良い週末を。」

二人は軽く会釈を交わし、結維は未来ビジョン推進室を後にした。

 

庁舎を出ると、西の空は夕焼けに染まり始めていた。

家に向かって歩き出したところで、結維はふと足を止めた。

昨夜もらったおにぎりとお茶を、今朝食べたことを思い出した。

「そうだ、お礼を言いに行かなきゃ。」

結維は、踵を返して、カフェバー・セレンディピティに向かった。

 

 

入口のドアを開けると、中からマスターの声がした。

「いらっしゃい。あ、昨日はどうも。」

「こちらこそ。おにぎりとお茶をありがとうございました。とってもおいしかったです。ちゃんとお礼を言いたくて、また来ちゃいました。」

結維は、照れ笑いを浮かべた。

「それはよかった。カウンターでもテーブルでもお好きな方へどうぞ。」

「はい。じゃあ。」

店内を見まわしてから、夕日が見えるカウンター席の一番端に座った。

マスターは、シークヮーサーで⾹り付けされている冷たい水とメニューを結維の前に置いた。

「防災服で視察でしたよね。どうでした。」

「はい。思っていたよりも動きやすくて。でも、防災靴が最初は硬くて、ちょっと足が痛いですね。」

「あちこち連れて行かれたんでしょう。」

「午前中だけでしたけど、盛りだくさんで。」

結維はメニューに目を落とした。

「どれもおいしそうですね。」

少し迷ってから、「自家製タコライス」を指差した。

「これ、お願いします。」

「かしこまりました。」

マスターは軽くうなずくと、厨房へ入っていった。

結維は窓の外へ目を向けた。

港の向こうでは、夕日がゆっくりと水平線へ近づいていた。

ほどなくして、マスターがタコライスを運んできた。

「お待たせしました。」

結維は笑顔でうなずいた。

「いただきます。」

一口食べると、思わず頬が緩んだ。

 

 

それを見てマスターは嬉しそうに笑った。

結維はもう一口食べてから、ふと思い出したように顔を上げた。

「今日、公用車で美崎中央商店街を通ったんです。」

「ああ。」

「車窓から見ただけなんですけど、朝早いのに思ったより人が多くて。外国人の姿もたくさん見かけました。」

「確かに、今朝も観光客がたくさんいましたね。」

「商店街に行ったんですか。」

「ええ。毎月一回。商店会の会合があるんです。」

「ここも商店会に入ってるんですか。ちょっと離れていますよね。」

「この店、最初はあの商店街にあったんです……。先代のオーナーがそこで店を開いて。しばらくして、海の見えるここに移ってきて。」

「そうだったんですか。」

「私がこの店を継いでからも、ずっと商店会にはお世話になってるんです。」

「今日、聞いたんですけど、商店会ではプロのマネージャーが入っていて、売上や客層を見える化するシステムも使っているそうですね。」

「よく知ってますね。」

「いえ、たまたま聞いたばかりで。」

「『みさちゅうくん』っていうんです。うちのレジもそれにつながってますよ。」

「みさちゅう、ですか。」

「美崎中央商店街の略だそうです。AIで売れ行きの予想なんかもやってくれるんですよ。」

「へえ。すごいですね。」

「商店会主催のイベントでは、うちも出店を出したりするんです。準備や広報なんかもマネージャーが段取りしてくれるので、助かってます。」

「まさにマネージャーですね。」

「そうそう、2年前に市のPR動画の撮影でうちを使ってくれたときも、そのマネージャーから話がきましたね。」

「思い出しました。そういえば、市役所の方に紹介していただきました。あの方、お店を経営している方なんだと思っていました。商店街のマネージャーだったんですね。」

「今日の会合も、この夏にやるイベントの打ち合わせでした。よかったら遊びに来てください。」

「はい、ぜひ。」

結維は笑顔で答えた。

 

 

「マネージャーが入ってから、おかげで商店街も変わりました。以前は朝は開いていない店も多かったし、夕方になると閉める店も少なくなかったんです。でも、『この時間帯にもお客さんがいるんだ』って分かってからは、営業時間を見直す店が増えました。」

「だから、朝から人が多かったんですね。」

「朝といえば、土曜の朝にやってる漁港の市場もおすすめです。地元の人もよく買いに行きますよ。」

「朝市ですか。そういうの大好きです。」

「朝はちょっと早いですよ。日の出くらいから並ぶ人もいて、10時くらいには売り切れて閉まっちゃうみたいで。」

「明日は、ここに来て初めての週末なので、早起きして行ってみます。」

「週末も忙しくなりそうですね。」

「はい。商店街も歩いてみます。」

そう言って、タコライスの最後の一口を食べた。

「食後は、コーヒーと紅茶、どちらにしますか。」

「うーん。こういうの、いつも悩んじゃうんですよね……。今日は紅茶で。ホットでお願いします。」

「かしこまりました。」

マスターは湯を注ぎ、ゆっくりとカップを温める。

やがて、やわらかな香りをまとった紅茶が結維の前に置かれた。

「どうぞ。」

結維はカップを両手で包み、一口飲んだ。

ほっとするような香りとともに、自然と表情がほころんだ。

 

 

窓の外では、夕日が静かに海を染めていた。

 

<第4話につづく>